人間の自然の本質は、善である。

ちょっと伝えにくいテーマの投稿です。
「僕たちは能動的に悪を行わない」

前回の投稿「人間の欲望も自然の一部?」を投稿した時に、いろんなコメントをいただき

人間の欲望も、経済発展も、自然淘汰されることさえも「人間の自然」であるなら

なぜ人間はここまで「自己破滅的な自然」を持っているのかな、と思いました。

その中で一つ、ああそうかと思ったことがあるので、ここに投稿します。

人間に備わっている善悪の観点も、自然の一部なのかな?と考えてみて…

人間の欲望は自然の一部。
善も悪も行ってしまうことも自然の一部。

でも、そう言えば、善悪って、人間にとってこんな風に成り立つことが多い↓

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・善は主に「能動」的な行動によって行われる→物事を良くしたい、誰かの役に立ちたい、という気持ちから来る行動。

・悪は主に「惰性」や「受動」によって行われる→誰かに何かをさせられたり、置かれている状況や環境がそうさせたりする。

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そして自然界って、こういう法則がある。

【ポイント】自然の中では、惰性や受動に陥った生き物から淘汰されていく。

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善や悪の概念が、自然の一部として人間に与えられたものなら、人が「能動で善を行う」ことは、ひょっとして人間に与えられた自然界での生存戦略かもしれない。

他の生き物と違い、善悪の観点を与えられている人間だからこそ「誰かのために何かをしたい」という気持ちが与えられている。

「善の為に行動する」ことは、人間が自然淘汰されることを防ぎ、周りの環境を良くしていく。

これが人間本来の自然かもしれない。

そして、物事を想像し、選択する能力を与えられた人間が「自分の自然観をチョイスする」のも、生存戦略として与えられている能力なのかもしれない。

…うまく書けていないですが、自然とは何か?人間の欲望は自然か?の考え方の一環として、派生した投稿でした。

※ 善悪という観点は、あくまで主体的なもので、行動の結果は他人には善にも悪にも捉えられるので、ここでいう善悪は「自分の中で測る善悪」と考えてください。

※ 昨今の世界で起こるテロなどの行為は、本人たちが善だと思い込んでいるという指摘もありますが、僕は人間の本質は善であり、テロを行う本人も、一人一人はその行為を善だとは考えておらず、むしろ環境や立場によってそれを選ばされたと考えています。

※ 善悪は無いという観点もありますがこの投稿は「善悪があるとしたら」という仮定で書いています。

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