ベネズエラ攻撃は「コミューン潰し」?報道とは違う視点。

一つの見方として

今回のアメリカによるベネズエラ軍事侵攻にはいろんな側面の理由がありますが「コミューン社会」に視点を当てると、報道とは違った側面が見えてきます。

日本を旅して見た、様々なところで芽生えている新しい生き方、エコビレッジ然り、気候変動対策として「コミューン社会」のような社会スタイルを取らない限り、気候変動対策は進まないと思っている僕として

なぜこの見方による報道が一切表に回ってこないのか、疑問に感じたので、ここで個人的にアップしておきます。

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以下、友人Mさんの投稿とやりとりを、一意見として記載させていただきます。

(Mさんの投稿)

トランプが会見でベネズエラを run する(統治する)と口を滑らせ、さすがにそれはまずいだろうと米政府があれこれと御託を並べた結果、日本のメディアは「運営する」というあいまいな訳にしたようだ。

プーチンがウクライナ侵攻を「戦争」と呼ばせないのと同じで、今回のベネズエラでの事態も「侵攻」とも「戦争」とも呼ばれない。日本の新聞はおおむね「攻撃」という表現で足並みをそろえたようだ。

これで日本もじきに戦争になるな、と思った。

言葉の綾だけで「戦争」が新聞やメディアから消えてしまうなら、別に「平和憲法」や9条があったところで、自衛隊が出動して他国と交戦したって問題ないわけだ。もう自民党も改憲にはそれほど熱心ではないようにみえる。

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ベネズエラではこの10年で130,000%(!)のハイパーインフレが起こり、経済規模は5分の1に縮小して、800万人が「難民」として国外へ脱出した。

国連に認定された難民数としては、アフガニスタン、ウクライナ、シリアに匹敵する数であり、つまりこれはもうベネズエラは、直接の武力行使を伴わない「経済戦争」での攻囲下におかれていた、ということである。人文研の藤原辰史さんなら、これも現代における「食権力」の虐殺事例だというのではないか。

この10年でなぜベネズエラがこれほどの激しい米帝国主義の攻囲のもとに置かれたのか?単なる石油利権だけでは説明ができない。

また、物価が13万倍になるというハイパーインフレ下で、どうやって国内に残った人々は生き残ってきたのか。だって日本でいったら、ガソリンがリッター2,000万円、コメ10キロが5億円くらいになるってことなんで。

こんな状況下で貨幣と市場経済に依拠して生活できるわけがない。

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おそらくその両方の答えは、ベネズエラにおいて進行中だった「コミューン革命」にあるのではないかと思う。この革命が南米大陸に国境を越えて拡散することを米国は絶対に許さなかった。

そして国内に残った人々の生活窮乏を最低限支えたのも、社会的相互扶助を組織化したベネズエラのコミューンの力だろう。

米帝国主義がついに直接軍事侵攻に踏み切った現段階で、ベネズエラのコミューン派がどのように闘おうとしているのかはよくわからないが、2017年の制憲議会までの情勢をコミューン派の立場から報告したものを見つけたので、note に訳しておく。

このレポートを読むと、マドゥロがなぜ「独裁者」になってしまったのか、というのは簡単には読み解けない難しい問題だと思った。彼は今でも心底チャベスの「コミューン」路線を信奉しているのは間違いない。そういう意味では、彼はミニ・スターリンではない。

チャベスーマドゥロは、「コミューン革命」を「国家」の力によって推進しようとしたことで、その政治路線に根本的な矛盾を抱えてしまったといえる。2012~17年まで、その矛盾をめぐってチャベス主義者(左派ポピュリスト)とコミューン派のあいだに党派闘争が起こり、米帝国主義はその機をとらえて南米での「コミューン革命」を包囲する「経済戦争」をしかけたことが、この報告からわかる。

【私訳】ベネズエラのコミューンー偉大な社会的成果ー|フリースペース ima

Katrina Kozarek 2017年11月28日 経済危機と米国が主導する国際的包囲に直面するなかで、ベネズエラのコミューンは下からの社会主義を目指すたたかいを前進させ続けてい…

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(僕)

いつも為になる投稿をありがとうございます。

ベネズエラにおける「コミューン」というのは、日本の「自治体」がもう少し自治の権限が大きくなったもの、という認識でしょうか?

それとも、日本ではまだ下火ですが、エコビレッジのように、行政に多少依存しつつも、独自の生活スタイルと独自に経済や物資を循環できるように発展を目指すコミュニティに近いもののことでしょうか?

(Mさん)

やはり今回のトランプによる軍事侵攻の本当の目的は「コミューン」潰しだと思う。こんな変革のモデルがベネズエラから世界に広がってしまっては、富裕層や超国籍企業はたいへん困るのである。なんとしても兵糧攻めにして潰さねばならない、と10年間やってきたのだが、なかなか根を上げないので、「もう、ちまちまやってたって、どもならん。軍隊出して、一気に叩き潰してしまえ!」となったのが今回の事態ではないかと思う。

 日本の「自治体」は、名前は「自治体」となってるけど自治の実態は何もない空っぽの制度。予算はほぼ中央政府からの交付金の分配で成り立っていて、実際に住民が自治的に政治や経済の問題を決められるわけではない。沖縄や福井の原発や基地問題などでは、それがあからさまになっていて、いくら住民が反対したところで国策は変更できない。

 そこで住民の決定に本当に自治権をもたせて、予算もセルフサステナビリティ=地域循環的な資金の再投資の流れを生産部面も含めてつくってしまう、というのが一言でいうと「コミューン」というもの。

 エコビレッジはそれに近いけれども、「コミューン」はそれに加えて政治権力も担っていくところが決定的に違う。つまり長期的には中央政府の機能の解体・吸収=国家がなくなる住民自治社会=を目指すものだと思う。

 ベネズエラはその途中で米国が殴り込んできたので、国内経済も政治もめちゃくちゃになりながら、まだ何とかがんばってる、という感じだと思います。

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(僕)

なるほど、教えてくださり、ありがとうございます。

僕は、気候危機を少しでも弱められる唯一の方法が「コミュニティや資源の循環の縮小」だと思っていて

そうでなければ、自然の循環と人類の社会の足並みが常に揃わず、その歪みから来る負荷が常に生み出され続け、揺り戻しの過酷さが後世に先延ばしされていくと思うからです。

なので「コミューン」というあり方が、おっしゃる通りであれば、日本でこれから理想とするあり方がコミューンだと思っていて、そうでなければ、まず解決は望めないというのが、自然を学んだ側から見た時の意見です。

なので、既存の社会システムを維持する為に、トランプがそのシステムを潰しにかかったとしたら、かなり衝撃的なニュースです。

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(Mさん)

いまの世界の本当の危機のあらわれは気候危機であって、「分散型の自己循環するコミュニティ経済システム+住民の直接参加による自治」という方向にしか、その解決の道はないと思います。コミューン運動は現実にはいろいろ制約や問題を抱えていると思いますが、理想とするのはそういう方向でしょう。

トランプはその真逆で、「集権型の資源管理+トップダウンの強力な国家機構」ということで、化石燃料と原発推進、思うようにならなければすぐ警察・軍事力行使という考え方。

ベネズエラで今起こっているのは、これからの世界をどうすればいいのか、についての二つの真逆の考え方のぶつかり合いだと思います。

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(僕)

なるほどです。そのような人の気持ちが、僕には分からないのですが、その道を突き進んでしまえば、地球環境が悪くなっていく訳で、それは自分のビジネスや利益にもダイレクトに悪影響を及ぼしていきます。

先にあるのは繁栄ではなく、自分の首を締めることになるのは、トランプも分かってると思うんですよね。

それが想像できたとしても、そのレントの独占(資本)に走るのは何故なんだろう?と思ってしまったりします。

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(Mさん)

「わが亡き後に洪水よ来たれ!」っていうのが資本の精神だとよく言われますが、この道の先に大災厄が来るのはわかっていても、その頃には自分は死んでるからどうでもいい、今(とそのちょっと先まで)が良ければそれでよし、ということですね。

 ひどい無責任ではないか、と思いますが、よく考えると資本主義のもとにある企業はこういう考えでないとやっていけないのです。社長や社員個人の良心の問題ではない。投下した資本が一巡して再投資するまでの間に利潤が出るのか、それとも出ないのか、だけが問題で、利潤が出なければ倒産してしまう。いくら遠い未来の社会の事を考えたビジネスを考えても無意味になってしまう。

 逆に、利益になるなら大災厄の「気候危機」だって投機や投資の対象になる。CO2削減関連のビジネスで儲ける人たちも出てくるし、その反対にトランプのように化石燃料で儲ける人たちもいる。

 つまり資本主義の文化は、その本質において「長い時間」を考えることができないのだと思います。原発なんかその典型で、核のゴミ処理に1万年以上かかるわけですが、なんで最初に設計したときにその方法を考えてないんだ!と言われますが、そもそも資本主義にはそんな時間の尺でものを考える精神がないのです。(そして、それは20世紀の社会主義や進歩思想にもなかった。)

 「長い時間」を生きる文化は、資本主義以前の人類社会には知恵としてありました。それは自然の再生と循環に敬意をもち、人間もその一部として責任を負うという文化で、そういう文化をもった人類は、そのような時間の尺は今でいう「万年」や「億年」のような単位だろう、という時間感覚をもっていたはずです。

 その遺産や断片は今も多くの先住民コミュニティに残っているわけで、現代の危機を乗り越えるためには、そうした文化や知恵に立ち返っていくことが絶対に必要ではないかと思います。

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(僕)

なるほど、とても勉強になりました。
Mさん、ありがとうございました。