②自然からの負荷は、どんな風に僕らに作用しているのか?

【前回の記事】先住民の教え「自然を大切にしなさい」を理論的に書いてみたら驚愕の事実が見えてきた!

前回の記事で

木を一本伐る度に
熊を一頭殺す度に
僕たちが自然に対して干渉する度に

地球に対して膨大な負荷を積み重ねていることが分かったと思うけど

ではその「負荷」はどんな風に僕たちの生活に影響を与えているんだろう?

今回はそんな記事です。

僕たちは負荷の大きさをイメージできていない。

単純に考えたら、木を一本伐った場合

「木が生きていたら生み出すはずだったエネルギー」 = 「同量の負荷」

これを背負うことになる。途方もない量に思える。
(下の図を参照↓)

これまで僕たちは、自然は自分の力で元に戻ろうとするので

「また自然豊かな状態になれば、負荷も解消された状態になるのではないか」

と考えていたかもしれない。

でも前回の記事で書いたように、自然が元に戻ろうとする時も「余計なエネルギーを地球に使わせて元に戻っている」ことを考えると

「人間が自然破壊してできた負荷の質量」 = 「元に戻る為に地球が使ったエネルギーの質量」

この二つは同量と言えるかもしれない。

つまり、自然が元に戻っても、元に戻る為の膨大なエネルギーを地球に使わせているので

結局僕たちは、小さくも大きくも、自然破壊したら、その規模と同量の負荷を、揺り戻しとして甘んじて受ける。

だからこれまでのことを考えると、僕たちは

原生植生から近代社会へと「変化させてしまった分と同量の負荷」

を現段階で背負っていることになる。
考えると気が遠くなるほど膨大な量です。

そして僕たちが良かれと思って自然に干渉したことは、全て負荷となって蓄積している可能性がある。

僕たちは、環境負荷を解消するために、新たに木を植えてみたり、自然を作り変えて無理に生物多様性を再現しようとしたりしています。

そのことが、逆に負荷を積み重ねている可能性があるなら

自然が長い時間をかけて負荷を解消するよりも早いスピードで、僕たちは負荷を更に積み重ねている。

極論で言えば、今現在、この時点において、農耕を始めて人類が極端な森林破壊を始めた約8000年前から今に至るまでの文明によって積み重ねた負荷は、ほとんど解消されることなく、全てを僕らは背負わされている状態と言えるかもしれないのです。

負荷はどんな風に揺り戻されるのか?

自然は負荷を、二つの方法で揺り戻していきます。

①自然はとてつもなく長い時間をかけて影響を返す。

今僕たちが行っているどんなに小さな自然破壊も、揺り戻しを受け取るのは僕たちではなく、次世代の人達になります。

自然破壊が行われた時、たくさんの自然の生き物がまずそれを受け止めて、影響を小さく分散する。変化をゆっくりにしようとする。
だから自然の変化はゆっくりなのです。

例えば、熊の大量出没が、ここ数年で建てられたメガソーラーなど自然破壊だとする説に違和感を感じるのはこの考え方があるからです。

今僕たちの時代で起こっている、風が強くなる、猛暑が増えるなどの自然の変化も、現在僕たちが行っていることが影響しているのではなく

50年前、100年前の人達が自然に対して行ってきたことの影響が、今出てきているのです。

言い換えれば、今僕たちが毎日の生活の中で行っていることの自然への影響は、50年後、100年後の人達の時代に出てくると思ってもらいたい。

そして、自然が元に戻るためにも、とても長い時間をかけることが必要で
1000年かけて出来上がったものが壊されれば、同じ1000年を要すると言っても良いかもしれません。

もう一度書きますが、僕たちが今、自然を破壊して、あるいは良かれと思って自然に手を加えることで積み重ねている負荷は、僕たちの世代よりも、むしろ僕たちの子ども達や孫たちの世代に影響し、ゆっくりと揺り戻していくのです。

今の僕たちがやっていることの、負荷の揺り戻しを受けるのは、次世代なのです。

自然がどういうシステムで負荷を生み出しているのかを、僕たちが理解しないと、僕たちは良かれと思って自然に手を加え続け、次世代に向けて延々と負荷を送り続けていることになるのです。

②災害として一気に返す。

僕たちが自然に干渉して変化させる時
「スピード」と「規模」、この二つの要素が過剰になると、災害を引き起こします。

「不自然なスピードで自然を変化させた時」

木を一本倒す時に、例えば微生物が分解するように、まるで自然の生き物がやるように、木が何十年もかけてゆっくりと倒れていくなら、自然は負荷をほとんど発生させません。

チェーンソーで木を切り倒すなど「自然界ではあり得ないスピード」で、木が倒れてしまった時、その変化に周りの生き物が対応できず、自然の循環に急激な不具合を発生させます。

温かい部屋から寒い外に急に出たりすると、くしゃみをしてしまうことがあるように、自然の揺り戻しのスイッチは、環境の変化のスピードにあるように思います。

森林を都市化させて、急激に環境を変化させた場合など、自然界にあり得ないスピードで自然を変化させた時、揺り戻しはくしゃみのように災害となってやって来るのではないでしょうか。

「不自然な規模で自然のバランスを崩した時」

スピードの他に、もう一つが「規模」の問題です。

例えば、人が自分の手と足を使って自然に干渉する範囲であれば、その規模は微々たるものなので、周りの自然の生き物と同じように、人間もまた自然共生の一部になれたかもしれません。

ですが、便利な道具を発明し、短時間で大きな規模の変化を自然に対して行えるようになってしまった人間は

まるで積み木を不自然なバランスで、一列に組み上げてしまった時のように

不自然な環境が積み上がり過ぎた時、積み木が崩れるように、自然は災害を起こし、一気に揺り戻している。

例を書けば、人工林のように、自然界では本来そこにないはずのスギやヒノキが大量に植えられている時、人が管理をしてバランスを取らなくなれば、自然はバランスを本来の形に元に戻そうと、土砂崩れという形を取ったりするのでしょう。

一度壊れてしまった自然は、自然自身のスピードでゆっくりと元に戻ってもらうのを待つのが、新たな負荷を生み出さない方法と言えます。

人間は、自然を壊してしまったなら、後はその分の揺り戻しを受け入れながら、元に戻る為の長い時間を待つしかないのかもしれません。

自然の恵みと負荷は、同量でセットである。

恵みや利益を得ると、同量の負荷も必ず受け取る。

森を伐採してしまえばその分の途方もない利益を享受するけど、同じ量の途方もない負荷も同時に享受することになります。

他の生き物の営みを壊して、恵みを分けてもらっているのに、僕たちは長い間

「人と自然が共生できればお互いにWin-Winになる」

と勘違いしていたように思います。

自然の生き物にとっては、それは決してWinではない。

だからこそ、自然の恵みを分けてもらうことに、僕たちは「遠慮」と「感謝」が必要なんだと思います。

負荷とは、自然の状態から改変された分の歪みのようなもので、それは形を変えて様々な方法でやって来ます。

自然災害、食料難、気候変動、猛暑、豪雨、果ては人間の生活から来る鬱や成人病に至るまで

ゼロレベルから改変された「不自然さ」の歪みを、僕たちは、負荷の揺り戻しとして様々な形で受け取っています。

人間が本来持っている手足を使って行うなら、畑を開拓することも、草刈りをすることだって困難になるでしょう。

しかし、その代わり自然に干渉するスピードや規模は、他の生き物と同じくらいのボリュームとなります。

もし僕たちがブルドーザーなどを使って自然を開拓すれば、それは他の生き物を置いてきぼりにして、不自然なスピードと規模で自然を変化させていることになります。

全地球でその行いの揺り戻しを受け取ることになるのでしょう。

僕たちは本来、自然の生き物と足並みをそろえたスピードや規模で、自然に干渉するべきなのかもしれません。

これほど発展してしまった現代では、もはや難しいことなのですが…。

最後に

この記事を読むと、人間は一切自然に関わらない方が良いのではと思ってしまうかもしれません。

ここからは特に観念の話になりますが、僕は、ここまで書いてなお、自然と人間は関わっていくべきだと考えています。

なぜなら…

興味のある方は、次の記事もお読み下さい。

人間と自然は、どんな風に付き合っていけるのか?

ここまで読んでくれてありがとうございました。

この記事が皆さんの自然との付き合い方のお役に立ちますように。