素晴らしい発明も、フリーエネルギーも、世界を救わないと思う理由

僕たちは、遠慮して生きて、初めてこの地球に生かされている。

素晴らしい発明は、一時的に僕らを助けてくれます。でも、結局この地球の問題は解決できない。

それどころか、ほぼ必ず自然への負荷を増大させてしまう。

それは、多くの発明が

「みんなが同じものを大規模に使う」

ことを前提に作られているからです。

良いものであればあるほど、それが広まってみんなが使うようになる。でもそのこと自体が、自然のバランスを崩してしまう。

今、地球を脅かしている化石燃料だって、最初は素晴らしい発明だったはずで、一部の人が細々と使っているくらいなら良かったのに

世界中の人が使うようになったので、世界中の化石資源がものすごい勢いで放出されて、自然界ではありえないバランスになってしまい、戻れなくなった。

なぜ、人間が地球にとって害となるのか?

それは発明や道具の良し悪しではなく
「使う規模」で害となっているから。

みんな同じことをしようとすることで、環境に与える自然への変化が大きすぎるのです。

こんなことは当たり前で、誰でも分かっていることなんです。

大きく使えば、大きな影響を生み
小さく使えば、小さな影響を生む。

そのことを、野生動物も虫たちもよく分かっていて、どのくらい草を食べるのか、どのくらい蜜を採ってくるのか、分かって、自然にアプローチしている。

よく、フリーエネルギーが発明されたらいいね、とみんなが言うけど、そんなものがあったら、人間は無尽蔵にいろんな活動を始めてしまう。

フリーエネルギーに負荷は無くとも、行動した規模で負荷を生む。

自然にたくさんの手を加えて作り替えようとし、活動した分の大きすぎる変化が、結局自然のバランスを壊すことになる。

人間の活動に歯止めがかけられなくなり、無尽蔵のエネルギーによる社会活動は、他の生き物をもっと圧迫することになる。

だから僕は、フリーエネルギーなんて発明されないように、あったとしても普及されないようにと願っています。

資源は「限られている」からこそ、みんなで大事に使う。

僕たちは「遠慮して生きて」初めて、この地球に生かされているんです。

これからどんな発明も、人間の問題を一時的に解決しても、この地球の問題を解決することにはならない。

僕らがやれることは「それぞれが違う方法で」「小さく」生きることです。

自然の草木がそれぞれ違う形を持って、それぞれで生きているように。

小さな規模で、生きるスピードをゆるくすることです。自然の生き物のように。

それが、とても幸せなことだと、みんなで思える世界になりますように。