野生動物の為の森作りとは?人里、里山と奥山の棲み分けが必要。
いよいよ始まりました!「どうぶつの森プロジェクト」。
野生動物の為の森を作りたい!という思いを表明した上で、大切なことを書いておきたい。
現代社会、住む場所を追われた野生動物の為に、できるだけたくさんの土地を返してあげたいと思っているけど、実際はそうはいかないですよね。
日本にはすでにあらゆるところが人間の集落、農地、林業の為に開拓した場所に溢れています。
どこでも野生動物の為の場所にしてしまったら、きっと困ることも多い。
とは言え、すでにたくさんの野生動物が人里に降りてきて「獣害」が発生しているのは仕方のないところ。
今後僕たちの社会の大切なのは、人間と野生動物の「棲み分け」をすること。
どこまでが人間の場所で、どこまでが野生動物の場所なのか、はっきりさせること。
現代では、野生動物の居場所が無くなるくらい、広大な面積が人間の土地になってしまって、そのどこに入っても野生動物は追い出される。
一体どんな場所なら、野生動物に還してあげられる場所になりえるのでしょうか。
ヒントは「里山」という言葉にあります。
日本の里山文化と野生動物のこと。
日本には江戸時代ころ、世界が驚くほどの自然共生文化があったと言われています。
それが「里山文化」。
里山と知るには、まず「奥山」という言葉も知らなければなりません。
「奥山」とは人が立ち入らず、野生動物の生息域として確保された場所。
「里山」とは人が整備しながら、人も野生動物も林産物や資源が採れるようにした場所。
「人里」とは、人が生活を営む場所。
奥山と人里の間に、里山があり、野生動物と人間の間の緩衝地帯のような役割を果たしていました。
人と野生動物がもっともバランスの良い共存をしていたのが、おそらく江戸時代だそうで、それはこの里山があったおかげのようです。
里山は、下草を刈って見晴らし良くします。
姿を見られたくない野生動物は、そう簡単には里山に降りてきません。
そして地面に光が当たることで、さまざまな山菜が生えてきます。
里山にはクヌギやコナラなど、ドングリのなる木が植えられていました。
これは人間たちの生活で、薪や炭として利用されていただけではなく、野生動物にとっても貴重な食料となっていました。
里山は野生動物にも恵みとなるし、人間にも大切な場所になるんですね。
人間は里山までは利用するけど、奥山のエリアにはめったに入って行かない。
野生動物も、里山までは降りてくるけど、人里まではめったに行かない。
里山と奥山の境には、「鹿垣」という石積みがあったようで、その向こう側には「熊留めの木」という栗や柿を植えていたようです。
昔の人は、ちゃんと野生動物との共生を理解して暮らしていたんですね。
土地も作物も全て人間のものとしてしまった現代に比べて、土地と作物と野生動物と分け合っていた江戸時代の里山文化は、世界的にも高いレベルの自然共生文化だったと言われています。
野生動物の森をつくる、という試みは、まずその土地が人里なのか、里山なのか、奥山に属するのかを調べる必要がある。
現代では、本来奥山に属するところまで、人の産業の為に利用されている。
まずはその棲み分けを、山主さんと相談しながら、このプロジェクトを進めて行きたいと思っています。
さあ「どうぶつの森プロジェクト」で、どんなことを学び、実践していくのか、皆さんも見守っていてください。