森から生き方を学ぶ③人間編 托鉢とクラウドファンディング。

こちらの記事を読む方は、ぜひ「森から生き方を学ぶ①植物編〜今、起こっている事が本当。」「森から生き方を学ぶ② 動物編〜自然はとても長い時間をかける。」の記事からお読みください。

こんにちは。
森のシンガーソングライター証です。

この記事では、森の旅の中で学んだことから、人の生き方を考えてみるものです。

と言っても、人が自然界から受け取れるものは幅広い。

ここに書いてある事は、僕個人の考え方、生き方としてお読みください。

森は、皆さんがそこにいるだけで、それぞれに必要なもの与えてくれるからです。

本当は森からそれぞれが受け取ってもらう、それだけで、説明はいらないと思っていたのですが

僕の立場を明確にしないと既存のいろんな思想、考え方と混同あるいは混乱する可能性があるので

僕の立ち位置の確認として、本記事を書き記すことになりました。

ココニクル号と撮影。

僕の森の旅は、クラウドファンディングで続けられています。

そして僕はほぼ一年中この旅を続けているので、皆さんからの寄付で生活していると言っても過言ではない。

「これは托鉢と同じではないか」と誰かが言った。

「托鉢」とは、ざっくり書くと、お坊さんがお鉢を持って家々を回り、お経を唱えてお金をもらう修行のことです。

ある方の言によると、托鉢はお坊さんの最終的な修行に位置づけられるそうです。

金持ちの家も貧乏な家も平等に回って施しを受ける。

少ない中から施しをする気持ちや、その施しを受ける側の気持ちを想像する。

僕のクラウドファンディングも、多くの方からご支援をいただいていますが、当然ながらお金が余ってる人なんていない。

日々の生活に使うはずの大切なお金を、ここで僕の為に支援してくださっている。

ありがとうございますと感謝が溢れていると同時に、本来はとても受け取れるものではない。

それでも「この生活をしなさい」と導かれて、今がある。

キャンピングカー自体も、皆さんからの寄付でいただいたもの。

僕の持っているほとんどのものは、誰かの好意でいただいたもの。

気が付いたら、僕のものなんてほとんどない。

でも考えたら、この身体だって、精神性だって、誰かから与えられ、誰かの影響を受けて作られたもの。

借り物の体で、借り物の精神を持ち、借り物の道具を使って生きていく。

僕なりの本質を求めて、気が付いたらこんな風になっていた。

そしてこのことこそ、自分と自分に起こることを俯瞰する事に繋がる。

ごろん3

ブッダの有名なエピソードを知っていますか?

元ネタの話は見つけられなかったのですが、だいたいこういう話でした。

乞食が道端で物乞いをしている。

お金持ちが通りがかってお鉢にお金を入れる。

乞食はお辞儀もせず、「ありがとう」も言わない。

お金持ちが怒って「俺に感謝したらどうだ」と言う。

すると乞食は「あなたこそ、奉仕ができたことを私に感謝しなさい」と言う。

ざっくりと寓話のように書きましたが、意味するところとしては

人はお金を使っていくら物を買っても幸せにならない。

人が幸せを感じる時は、人の役に立てた時だ。

だから、お金持ちは乞食に奉仕をした時点で本来満足しており、ギブ&テイクとしては成立している。

乞食はお金持ちに返すのではなく、他の人に奉仕をすることでそれを返すのが良い。

お金も物も、本来そのように循環させるもの。

僕は、実際に寄付をもらっている身なので、本当はこの話をそのまま語ることはおこがましい。

でも、この話がなければ僕は皆さんからの寄付を受け取ることなんてできなかった。

岐阜県の郡上八幡を訪れた時、古い友人のお坊さんが僕と「托鉢」について話してくれた。

「托鉢のエピソードは最近良く語られるけど、都合の良い部分だけを抜粋して広まっているかもしれない」

「僧は修行の為に、生産性のあることをしない(働かない)。殺生もしない(草花も虫も採らない)。この精神性ゆえに、托鉢が成立している」

とのこと。

「托鉢とは何か?」を調べていったら、面白い文を見つけた。

(ミャンマーにて)

ただ黙って食べ物を集めて歩く僧侶たちは、何かをもらって礼を言わないのはもちろん、黙礼さえしない。

「我々は乞食ではない。ほしいと言うことは許されない。また片手で提供されるものをもらうこともできない。ある家の前に立って、家の人がまったく動こうとしなくても、心乱れてはならない。それには自分の生き方が、修行が、ピュアであるという確信がなければなりません」

托鉢に出て、村人の家の前に立つとき、ただその家族が幸せでありますように、そしてすべての家族が幸せでありますように、と心の中で念じるのだという。

「それもひとつの瞑想なのです。慈悲(Loving kindness)の瞑想です」とキラサは言う。
このとき、どんな些細な欲望も感じてはいけない、この家族が良いとか悪いとか、この食事がうまそうだとかまずそうだとか、そういう判断をしてはいけない。ただただひたすらに念じるだけ…。
そして5分経って何も提供されなければ、そのまま黙って次の家へと向うのだという。
惨めな気持ちになりませんかという私の質問は、真摯に修行に励むキラサ僧には失礼な問いだった。

(http://www.ayeyarwady.com/essay/monk/monk3.htm)

これこそまさに、郡上八幡のお坊さんのおっしゃっていたことに通ずる。

そして僕はほとんどホームレスのような生活をしているので
そんな人たちとの邂逅を交えた下記の托鉢エピソードも共感できるところがあった(特にホームレスに)。

ホームレスさんは度々、数寄屋橋に行くと出てきて、小銭を入れて下さっていたのだが、あるとき、話しかけて

「いつも恐縮です。お金に困りませんか」と言うと、「俺はお金なんかなくても何でも出来るからいいんだ、それよりお坊さんも大変だね」そんなことを清々しい眼をして言われたと記憶している。

托鉢とは何だろう。その頃から自分なりに考えていた。

網代傘の下から世間を眺める。通りを行き交う人。上品に装い、お金持ちそうな人。ビジネスマン。忙しそうに走り去る人など様々だが、この人は入れてくれるのではなどと思った人が入れてくださったためしはない。
勿論そんなことを考えて托鉢するものではないが。こちらが見ている以上に通る人たちがこちらを見ている。一目見ただけでどんな人物か分かってしまっているだろう。

そんな事を考え、それまでお経を唱えたり、通行人を見たりということをすべて止めることにした。托鉢に立っているときには、視線を前方に定め、ただ何も考えず、じっと心を無にすることだけに徹底した。托鉢は、頭陀、捨てる、思いはからい、執着を捨てる、払うことなのだと改めて思った。

托鉢は立ち禅なのであると。

(http://blog.goo.ne.jp/zen9you/e/5fdf81ecb7eefff77fa1bec5aa4b5807)

このようなエピソードを見れば、やはり托鉢をビジネスの中に置き換えるのは、そもそも舞台が違うと分かる。
僕の行っていることは托鉢ではない。

僕の精神性がピュアであると言い切れるかにかかってるかもしれない。

キツネの嫁入り。

では、僕がこの旅を始めた目的について、書いてみたいと思います。

もちろん「全国の森にいろんな人を連れて行ってみんなで学ぶ」とか「アーティストとしてちゃんと食べていける道を模索する」とかの目的はあるのだけど

僕の個人の修行としての目的は

価値やエネルギーの本当の交換を見たい。

ということ。

僕が行っている森の「ごろんコンサート」や、音楽というもの自体が、本当はこの世界にどれだけ価値のあるものなのかを知りたい。
うわべの人気や流行りというところから離れて。

まずアーティストとしてお金をもらう最低条件として「相手の求めるクオリティがある」こと以外に、「人生をかけて行っていること」であると僕は考えています。

この生産性のないことを、人生をかけてやっているからこそ応援が必要なのであり、人生をかけてやっているからこそ、他の人がお金を払ってでもほしいと思える価値を作品に表すことができる。その部分はお坊さんと通じるのかもしれません。

(あくまで僕個人の意見です。人生をかけていなくてもすごいアーティストはたくさんいます)

そして純粋なエネルギーの交換を観察したい。

お金の回り方だけではなく、恩や損や徳などのエネルギー、物が循環するエネルギー。

まず僕の人生に置いて、余計な装飾や価値をはぎ取る。

家を捨て、持てるものを必要最低限、お金も必要最低限、

これで本当に、人そのものや、行っている事の価値によってエネルギーの交換が行われる。

僕はそのギリギリのエネルギーの交換が見たい。

だから、今の僕のギリギリの経済状況は正しい。

もしも助けてくれる人がいなくなれば、それは僕のやっていることは「本当に価値あるエネルギーを回しているのか」という測りになるし

それでも僕を応援し続けてくれる人がいれば、僕のやっていることが今の社会においては「このくらいの価値があるんだ」と分かることができる。

もし僕が今後、誰かに何を与えるにせよ、自分がどうなりたいにせよ、自分のぎりぎりを流れる世界のあり方を分かっていなければうまく進まないだろうし、この流れを肌で分かっている状態になれば、ある目的を持った時にそこに漕ぎ着ける方法が分かる。

お金持ちになりたいにせよ、物事を発展させたい、にせよ重要なのは、自分と社会のエネルギーの流れ方を知っているかどうか。

僕のやっていることはお坊さんの修行とは違うけど、ある部分では重なるように思う。

そして僕は支援をいただく側から、いろんな人を支援する側に回りたいと、強く思っています。
その為にはある程度のお金をちゃんと回せる立場にもなることが必要です。

僕にもだんだんと次のステップが示されて来ていますが、現時点ではもう少し修行をしながら成り行きを見ることになりそうです。

さて、次の記事は「森から生き方を学ぶ④人間編 俯瞰したい時は惑星を見る。」、これらの記事はすべて森との対話で学んだこと。
テーマ自体はは森の他に、宗教観、自然観や物理学の要素も入って来ます。

お読みいただき、ありがとうございました!

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【森のシンガーソングライター証(あかし)プロフィール】

森の中で、歌を聴こう。

「森と歌を繋ぐ専門家」として、日本全国の森で、森の歌ライブを展開しています。
森の景色、森の音、焚き火、ナイトウォークなど、様々な自然体験と共に、森の生き方から学ぶ人の暮らし方、生き方を学ぶ「ごろんコンサート」が好評。

クラウドファンディング「【日本初】森と音楽の専門家の大挑戦プロジェクト!失われる森を守るためキャンピングカー生活で全国をまわる!」を達成率132%で達成し、手に入れたキャンピングカー「ココニクル号」で、定住しない生活をしながら、現在日本全国の旅をしています。

本名 山田証。福井県出身。東京都多摩市本拠。シンガーソングライターとしても活動の一方、自然科学にも興味を持ち、林業、造園業、環境教育、インタープリテーションの手法を学ぶ。

2008年「エデン風景」がFM福井主催、福井ホームタウンソングコンテストでグランプリを受賞。
2010年「雨粒ノック」が、エコジャパンカップカルチャー部門エコミュージックにてCMディレクター中島信也氏による「中島賞」を受賞。
2014年 「地球ワット」が、同コンテストにてグランプリを受賞。ミュージシャンとしては初の二度の受賞を達成する。

国土緑化推進機構の機関紙「ぐりーん・もあ 2015 vol.70 夏号」にも登場。

森林インストラクター(全国森林レクリエーション協会)

森の歌会 vol.19 あの山に登ろう

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